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体育祭/白組応援団長・副応援団長から

体育祭/白組応援団長・副応援団長から

投稿日:2021.06.24

応援団長 


2年ぶりの体育祭で私は、白組の応援団長を務めました。応援団長になることは、1年生だったときからの憧れでした。 


例年なら全校で大きな声を出せていた応援合戦は、コロナの影響で声を出すことができなくなりました。「では何ができるのか?」と考えた結果、いつもより難しい演舞に挑戦することにしたのです。5月に入り赤組と白組に分かれての応援練習が始まると、9年生が中心になって低学年にも演舞を教える日が続きました。動きを覚え、全員で合わせるところまでもっていくことーこれが思いのほか難しかったのですが、9年生や応援団は低学年のみんなが覚えるまで優しく教えてあげることができました。こうしたことを思い出すと、「全員で協力」して体育祭に臨むことができたことを強く実感します。


『声を出せない応援』ということで特に工夫したのが、競技中の応援です。太鼓は鳴らせても声が出せないので、基本的に拍手で応援するしかなく、3-3-72-2-4など拍子の数を書いたボードを作りました。経験のない12年生が見てもすぐわかるように、そして、密を避けるために離れて並んでいる学年も同じ応援ができるようにしたかったからです。ボードを利用したことで、一体感のある応援を届けることができました。


いろいろな制約があり大変でしたが、才教学園で私が経験した8回の体育祭の中でとても思い出深いものになりました。このような体育祭を開催できるよう尽くしてくださったみなさんに、とても感謝しています。


 


 


副応援団長 


体育祭を振り返ると、楽しかったこともあれば、悲しい思いをしたこともありました。私は副応援団長だったので、和太鼓を叩いて合図をしたり拍を刻んだりという役割でしたが、みんなが演舞で太鼓の音を聞きながら踊るときに、なかなかリズムよく叩くことができなかったことで、キャプテンや応援団長から怒られてしまいました。 


演舞に必要なのは、太鼓のスピードとキレの良い踊りです。ですから、「みんなのためにも上手に太鼓を叩きたい」という思いで、太鼓の上手な友人にコツを教わりながら、日々練習を重ねました。しかし、私にとっては速く連打することが難しく、一週間が過ぎても太鼓の腕は上達しませんでした。そこで私は、「ならば!」と気持ちを入れ替え、太鼓から演舞へ移ることを決意しました。


それまで見ていた演舞を実際に自分がやることにしたのは、体育祭本番まであと2週間、というタイミングでした。私はキャプテンや仲間から教わった演舞を必死で覚えました。しっかり演舞を覚えた後は、全校練習、学年別練習のたびに、まだ完全には振りを覚えていない低学年にも教えられるようになりました。


当日は全力を出して、自分のやるべきことを果たすことができました。


できないことがあっても簡単に投げ出さず、できるまで練習する。やりきることができないなら、別の方法を見つけて頑張るという手もある。自分が納得できる道を突き詰めていけば、それは必ず身につき、どんなことも成せると思います。